ザ ビートルズ:『Get back』を観る!パート1

ネタバレ注意!

 

ピーター・ジャクソン監督が1969年1月に撮影された膨大なフイルムと音源をを8時間半にまとめた映画。このためにDisneyチャンネルに入った。

 

アルバムとしては最後の発売になったレット・イット・ビーはこのセッションの曲を悪名高いフィル・スペクターが編集し、発売されたもので、後にポールはあれはビートルズのアルバムじゃない。アレンジしてないものを発売しろと文句を言ったとか。

 

中学生の時からファンで、勿論このセッションの事は知っていた。これがきっかけで解散になったのだ。なので、覚悟して見始めたら、ちょこちょことピリついているが、結構楽しそうにレコーディングしていた。というか、ずーとふざけていた。オノヨーコが常にジョンの隣にいたが、何だこいつ感はあまり感じられなかった。ベタベタはしない。でもずーと横に居る。

まるでお地蔵さんだと、どなたかが表現していたが、空気でもなく、ギラギラもしておらず、菩薩ってほど神々しくない、座敷わらしというかお地蔵さんみたいだった。

 

ポールの才能の放出力は凄まじく。当時のメンバーやスタッフは当たり前のように見ていたが、50年後の今も聞いている曲たちが、簡単に生まれてくる瞬間は鳥肌がたつ。しかもget backやLet It Be. A Long wainding roadの3曲のNo.1ヒット曲があっという間に出来ていく。

その当時の世の中に存在しないメロディがポールの口から紡ぎ出されてくるのだ。

 ジョージはずーとポールにイラついていて、あまり笑わない。言われた事をやるだけという感じで、気持ちが乗っていないのがよく分かる。兄貴たちからすると、弟分のジョージなのだが、成長してきたから兄貴たちの態度が、癪に障るのだろう。自分の曲もアルバム1枚につき2曲までしか歌わしてもらえず、要は独立したいのだ。

 そんなジョージ、コンサート(企画されていたショー)の場所は海外は嫌だとしか自己主張をしないリンゴ・スターも、ポールがピアノを弾きながら『マザーメアリーの歌』と名付けた歌をハミング混じりで歌い始めると、顔色が変わった。これはヤベーやつだぞって慌てて、ギターとドラムを合わせていく。

『レット・イット・ビー』の誕生だ。ロック史上に残るアンセムが、こんなにサラッと出来たなんて衝撃だった。

どうするジョージ!

パート2に続く。

 

エムカク『明石家さんまヒストリー2』を読んで

 

 

オレたちひょうきん族が始まり、自分が子供の時に見ていたさんまさんが登場します。
 遊びながら、めちゃくちゃ働きながら、めちゃくちゃ遊ぶ。
あの時代の特に芸能人の本を読むと必ず出てくる、早朝草野球への情熱ってなんなんだろ?今で言うなに?インターネット?
あと、麻雀も。消えゆく昭和の文化かも。

 それはともかく、現在で例えるとM-1チャンピョンになった直後のような忙しい日々の中で、時代がさんまさんを漫談家からテレビタレントへと変えていきます。自分の記憶では「関西弁の出っ歯の、軽薄男」というイメージで、笑っていいともで喋りっぱなしだった。

本書では、いよいよメインになっていくオレたちひょうきん族の中で登場した、
ブラックデビルアミダばばあナンデスカマン、ナンデンネン タケちゃんマンのライバルとしてのキャラクターについての記録も嬉しいです。

弟の死と日航機墜落事故が、さんまさんへ与えた影響とは…是非とも読んでいただきたい。

新人教育

新人の教育をする際に気をつけていることは、業界独自の言葉をまず覚えてもらうことである。
まず会話が成り立つようにしたい。
注意しても意味が分からない言葉で言われても内容が入ってこないので、まずは共通言語を確立してからが大事だと感じている。

フランス革命

コテンラジオからの要約

フランス革命以後

人権が認知され、それまでは王権国家だったのが、国民国家が出来る。

そこでナショナリズムが生まれ、国のために戦うというメンタリティーが出来た。

今までは…傭兵が戦い、この城を取ったら終わりのような戦争の終結方法であったが、ナショナリズム、民族集結、などの「意識」が出来たことで、戦争に終わりの無くなってしまった。

 

 

エムカク「明石家さんま1」を紹介する

水道橋博士のメルマ旬報からの書籍化。本編はもっとれます。若くて夢と時間だけはあってもお金は無いという時期がさすがの明石家さんまにもあった。
 なぜ笑福亭に弟子入りしたのに明石家なのか、なぜ落語をやっていないのか、なぜずっとピンなのか、なぜどんな時でも後輩に厳しくふるのか、などの理由が分かります。
 どんなに不遇な時代も、お金が無くても、皆から可愛がられます。そして、ずーと面白いです。
 杉本少年が芸人になって人を笑わせるためには、師匠に弟子入りしなくてはいけませんでしたし、それが当たり前の時代でした。現在の吉本興行は、NSCでお笑い芸人を育成し、吉本興業の劇場に出演させる形式が大半だと思います。明石家さんまさんを今テレビでみると、自分が松之助師匠や桂三枝桂文珍など先輩から受けた恩や芸への厳しさを後輩たちへ惜しみなく与えているように思えます。
正に天下をとっていく後半も楽しみです。