子供がいないと

子供がいないと知らない世界がある。 

きかんしゃトーマスおかあさんといっしょプラレールなどなど…

自分自身はクレヨンしんちゃんと接点が無かったが、子供がいると、必然的にクレしん映画を観ることになる。

 

そして、大人が泣いちゃったりする。

 

大人の都合でダメダメ言ってんじゃないの?って歌詞があるが、その通りです。

 

 

子供が学校に行くのに気乗りしない様子だ。

 

自分は結構長いこと学校に学生として通っていた人間なのだが、確かに学校行きたくない気持ちは良くわかる。

いじめられていたり、嫌いなことをしなくてはいけなかったり、そんなことがあれば当然行きたくないに決まっている。でも、何もなくても、退屈でも行きたくないのである。

 

学校とは学び舎、寺子屋、勉強をするところ。では塾との違いは?

なんだろう。

浪人生活もしたことがある。

とても、気持ちが不安定になるし、誰からも期待されないし、社会の中で必要とされていない感がひしひしと伝わってくる。そこで結局 予備校に入った。あら不思議、学生という属性が得られて一安心となった。

孤独に耐えることは若いうちは難しい。

どこかに属しているというのは安心につながるのだ。

 

学校は属性なのだ。   

暴論でした。

珍夜特急

kindle unlimitedで全巻読了。

200万円バイトで貯めて、インドからヨーロッパまで250㏄のバイクで駆け巡る、22歳の若者の旅行記

 衒いのない性格と、現地の詐欺にあっても、日本人だからって舐めてんじゃねーと、取り返すガッツで様々なトラブルに遭いながらも やりきった。

 友人から バイクでヨーロッパ巡ったくらいで人生変わるなんて思うんじゃねーぞの言葉を胸に、ドイツ人カップルと一緒に同行したり、日本人バックパッカーたちとの交流しながら、ポルトガルの最西端を目指す。果たして無事に到着するのだろうか。

 

 作中に著者よりも年上の日本人が度々登場しする。彼等は仕事の合間のヨーロッパ旅行だったり、仕事を止めて放浪していたりと様々だが、長く休まなければ行くことができないヨーロッパな行くのだろう。

今回のコロナで強制的に休まされたが、移動出来ないため、なんか、休んだ感じがしなかった。

 

 

抽象化する

 

 

ずるい考え方 ゼロから始めるラテラルシンキングより

『対象の特定→抽象化→具体化』

フォードの車についての説明があります。19世紀の話。起業する時に何を商売の種にするかと周りの人に聞くと、「速い馬車」を開発すべきと言われたので、

 

馬車(対象の特定)→早く移動するもの(抽象化)→自動車(具体化)

 

という思考で、自動車を大量生産する会社を作り、大成功しました。

 ところがある時からフォードの車が売れなくなります。

ライバル会社が多彩な色やデザインの車を発表したのです。

 

自動車(対象の特定)→人に自慢できるもの(抽象化)→多彩なモデル(具体化)

 

フォードは本質が変化した事をしりました。

 

自動車が庶民の手に行き渡るまではデザインや色は二の次でいかに安く作るかが大事だったのが、自動車の存在が当たり前になると、他人とどう差別化できるかが、重要になってきたのです。

 

本質を捉えるための訓練として、身近なものの30通りの使いみちを考えてみるという、ゲームがあります。

1.視点を、変えてみる。

2.他の代替はあるか?

3.同じ役割だが、中身を変えてみる(文中では汚れから、2種類の汚れたものを包むと、きれいなものを包むという使い分けを提案しています。)

 

ただし、あまりに「ようするになに?」を連発し過ぎると、女子からきっと嫌われると思うぞ。